ピアノには様々な技術がありますが、その中でも初級のうちから出てきて、上級になってもなかなか難しさがぬぐえない(ほとんどの技術がそうですが・・・)トリルを見ていきましょう。トリルは時代によっても曲によっても演奏者によっても弾き方が全く違いますので、全てを紹介することはできませんが、トリルで悩みを持っている方の助けになれば幸いです。
トリルの意味
トリルは英語で「trill」と書きます。これは、イタリア語の「(鳥が)さえずる」という意味の動詞「trillare」の名詞形「trillo」が語源です。trilloの読みは「トリッロ」となり、イタリア語でトリルという時はtrilloを使います。
ここでイメージする鳥のさえずりは、日本のスズメやカラスやウグイスのようなものではなく、ヨーロッパに住むナイチンゲールの鳴き声を想像すると良いかもしれません。
音楽でトリルというと、ある音(主音あるいは主要音といいます)に対して、2度上の音と素早く交互に演奏することを指します。「tr~」という記号を使って書き、実際の奏法は、奏者にある程度任せます。
この例では、ドの音にトリルがついていますが、以下のことは奏者に任されています。
・ドとレを交互に弾く速さ
・ドとレを何回交互に弾くか
・ドからはじめるかレから始めるか
・始めの音を少し長めに弾くかどうか
これだけ単純でも、何十通りと弾き方があるのがトリルという記号です。可能性が広いということは、それだけ奥が深いということでもあるのですが、まずはピアノでトリルを弾くための指の運動から始めてみましょう。
トリルの練習
美しいトリルは、それぞれの音が均一な長さで、トリルの中でどの音も極端に強くなったり弱くなったりすることがなく、音楽の流れに沿いつつ十分な速さで弾いているようなものです。
ブレンデルの演奏するベートーヴェンの最後のピアノソナタの終結部分。神聖さを感じさせるトリルです。
トリルの指使い
日常生活の中にこのトリルの動きはあまり出てくることはありませんので、まずは手を柔軟にしていくことが大事です。また、どの指を使ってトリルを弾くか、ということも大切な問題です。よく現れる順(弾きやすい順)に並べてみました。
・2-3(人差し指と中指)
・1-2(親指と人差し指)
・1-3(親指と中指)
・2-4(人差し指と薬指)
・3-4(中指と薬指)
・3-5(中指と小指)
・4-5(薬指と小指)
2や3を使う指使いが簡単で、4や5を使う指使いが難しい傾向にあります。とくに、3-4の指使いからいきなり難しさを感じるでしょう。どの指使いもそれぞれ難しさがあるので、一つ一つ時間をかけてゆっくり練習していくことが大切です。
また、白鍵と白鍵のトリルもあれば、白鍵と黒鍵、黒鍵と白鍵、黒鍵と黒鍵のトリルもあります。4が白鍵、5が黒鍵のトリルはおそらく一番難しいトリルです。全ての指使いと、全ての鍵盤の組み合わせで練習するのが一番ですが、それでは時間がかかりすぎてしまいますので、まずは今練習中の曲に登場するトリルを練習していきましょう。
テンポアップ
トリルの練習方法の王道はテンポアップです。メトロノームを使って、一つ一つの音をコントロールできる速さから始めます。
まずは60から始めて、アプリや電子メトロノームを使っている方は1ずつ上げていき、振り子式メトロノームの場合はメモリを1段階ずつ上げていくと良いでしょう。
このようなテンポアップ法で練習を行う際は、完成形をイメージしてその動きをゆっくりと行うことが大切です。指を高く上げて鍵盤に打ち付けるように弾く奏法(ハイフィンガー奏法)は、指の独立と、疲労耐性を鍛えることには役に立ちますが、綺麗なトリルを演奏することには役立ちません。指を鍵盤から離すことなく、指先で鍵盤の感触を持ちながら、なるべくリラックスして演奏します。
「手の重さを、指と鍵盤を通してピアノ全体に伝える」という意識で弾くと綺麗な音色になります。
ハノン
このような基礎練習の役に立つのは、なんといっても「ハノン」です。
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このなかで、第46番の練習がトリルに特化した練習となっています。
また、第10番、第11番、第14番、第27番、第29番、第30番もトリルの練習曲になっており、特に第29番は様々なトリルを練習できるためおすすめです。
すべて両手で練習するようになっていますが、実際にトリルが曲中に出てくるときに両手で弾くことはほとんどなく、また両手で弾くと細かなムラを聞き取ることができないため、まずは片手ずつ練習することをおすすめします。
とはいえ、両手での練習は左右の手のバランスを鍛えることにも役に立ちますし、両手でのトリルは極端に難しいため、出会ったときに全く弾けない!とならないために、練習の仕上げに両手での練習も行いましょう。
トリルに音色を付ける
トリルはバロック時代から現代まで、ずっと使われてきた技巧です。そのため、様々な音色のトリルを弾きこなせるようになる必要があります。いくつかトリルを聞いてみましょう。
トリルを使った曲の例
スカルラッティ「ソナタ K.9」
実際に鳥のさえずりを思わせるようで、トリルの元祖といえるような音色です。シンプルで軽やかな中に美しさがあります。
バッハ「インヴェンション集」より第4番
様々なトリルが登場しますが、14秒付近から登場する右手のトリルや、22秒付近から登場する左手のトリルが特に特徴的です。これは、ピアノの音が減衰してしまうのを防ぐために、音を伸ばし続けるためのトリルです。
ベートーヴェン「ピアノソナタ21番:ワルトシュタイン」より第3楽章
冒頭でも紹介しましたが、ベートーヴェンのピアノソナタの終結部に長いトリルが登場することがしばしばあります。輝きを持ったトリルで、しかもトリルを弾きながら同じ手で旋律も一緒に弾かなければならないため、弾きこなすには並大抵ではない技術が必要です。
ショパン「ノクターン Op.9-2」
言わずと知れたショパンの名曲ですが、旋律の中にさりげなくトリルが入ることで、情緒が増しています。
ファリャ「火祭りの踊り」
もともとオーケストラの曲で、弦楽器のトリルです。怪しげな雰囲気と、力強さが同居している特徴的なトリルです。
これらのトリルはどのように弾き分ければよいのでしょうか?
鍵盤をどこまで上げるか
トリルは同じ鍵盤を何度も弾くことになりますが、そのときに意識すると良いことは、「鍵盤をどこまで上げるか」です。
毎回鍵盤を上げきると、それぞれの音がはっきり聞こえるようになり、くっきりとしたトリルになります。鍵盤から指が離れるほど上げる必要はありませんが、音と音の間にわずかな隙間ができるようにすることで乾いた響きのするトリルにすることができます。
このはっきりしたトリルは、バロックや古典派の音楽で効果的に用いることができます。
一方で、鍵盤を途中までしか上げず「鍵盤の中で弾く」ようにすると、滑らかにつながった繊細なトリルになります。また、移動距離が少ない分、高速なトリルが可能になります。
アップライトピアノでは鍵盤の中で弾くのが難しいため、弱音ペダル(一番左のペダル)を踏むことで、似たような効果を得ることができます。
この繊細なトリルは、神聖な響きだったり、遠くから聞こえてくるような効果を出すことが可能です。
クレッシェンドとデクレッシェンドを付ける
トリルが記号で書かれていると、音符は1つしか書かれていないため、実際には何個も音を弾いているのにもかかわらず、1つの音として捉えてしまいがちです。しかし、それではあまりにもったいないことです。何個も音を弾いているのであれば、それぞれの音をコントロールして歌うように演奏するべきです。だんだん強くしていく(クレッシェンド)のトリルは情感豊かに盛り上げることができますし、山型になるように、だんだん強くしてから弱くする、という方向性を持たせてトリルを演奏すると、歌心のあるトリルとなります。
一つ一つの音を歌うという意識を持つことでも、美しいトリルにすることができますので、そのような意識をしてみてください。
スタイルに合わせた「決まり文句」を知る
基本的に、バロック・古典の音楽は主要音ではなく、上の音からトリルを始めるというルールがあります。(絶対ではありません)
さらに、長いトリルの後は下に音を引っ掛けるように演奏することがあります。
上の音から始まることで、トリルの始まりの音が伴奏や別の旋律と不協和音程を作り、それがアクセントとなって歌心が生まれます。ここでいう不協和音程とは大雑把に言うと「2度、7度の音程」のことを指し、緊張感の高い音という意味で、決して汚い音という意味ではありません。
一方でロマン派以降の音楽では、特に指定が無ければ主要音から弾き始めます。こうすることで、旋律のなかに自然なトリルを入れることができます。
あえて上から弾いてほしい場合は装飾音を用いて次のように表記します。
トリルに似た技巧
今回はトリルのみを紹介してきましたが、似た技巧として、1回だけ引っ掛けるプラルトリラー、下方向に引っ掛けるモルデント、2度とは限らないトレモロ、などがあります。どれもトリルが演奏できるようになると、この応用として弾くことができます。
なかなか指が思うように動いてくれない、と思うかもしれませんが、トリルが弾けるようになると、弾ける曲がぐっと増えるとともに、指の独立や表現力の助けにもなりますので、ぜひゆっくりと練習するところから始めてみましょう。