音楽を大人になってから始めると、「え?なんでこんなに不便なの!?」ということにぶつかることがあると思います。歴史が古ければ古いほど、慣習的な決まり事が多く、いかにも不条理に思えることがあるのはどの分野にも言えることですね。そんな不条理と、言い訳を見ていきましょう。あなたは許せますか?許せませんか?

音名はなぜラがA?

音名というもっとも基本的なところで、色々な文化が混同しているのは音楽にどんなに慣れていても厄介ですね。

幼児教育ではドレミファソラシドのイタリア語音名を使うのに、ジャズ・ポップス界ではABCDEFGの英語音名を使い、クラシック音楽界ではAHCDEFG(アー・ハー・ツェー・・・)のドイツ語音名を使います。しかも、調の名前は「二長調」の「二」のように日本語の音名を使うことがあります。全く統一する気が見られませんね。

さらに厄介なことに、イタリア語音名のドレミ・・・に対応するのは英語音名のCDE・・・です。なぜドをAにしなかったのでしょうか!?

音名にABC・・・を当てたのは9世紀の音楽学者ユクバルドだと言われています。男性の声域として通常使われていた最低音にAを当て、それがイタリア語音名でいうラだったようです。しかし、音楽理論的には、C-D-E-F-G-Aから成る6音を軸にした方が都合がよく、11世紀の音楽学者グイドダレッツォによって、C-D-E-F-G-Aにより歌いやすい音名としてUt-Re-Mi-Fa-Sol-Laが与えられました。(当時まだSiはありませんでした)

グイドダレッツォが1026年に発表した論文「Micrologus」より。母音と高さを一致させて歌う練習法を考案しています。

さらに、Utが歌いづらいため、これが後にDoに変更され今のような形になっています。

このUt-Re-Mi-Fa-Sol-Laは、MiとFaの間が半音である、という規則で使われていたため、G-A-B-C-D-EにUt-Re-Mi-Fa-Sol-Laが当てられることもあり、その意味では、A-B-C-・・・とUt-Re-Mi・・・は使い分けられていたと言えます。

現在でも使い分ける流儀はありますが(→移動ド唱法)、イタリアやフランスではA-B-C-が使われることは無く、Do-Re-Mi-・・・を音名として使います。単純に言語の違いと考えるのが良いですね。

足し算できない音程の数

3度上の音程の、さらに3度上の音程は5度・・・、音楽に慣れているとあまり違和感がありませんが、冷静になって考えてみると非常に不便ですね。

同じ高さの音の音程を1度としてしまったのが悲劇の始まりで、同じ高さの音の音程に0が使われていたのなら、足し算は可能だったはずです。

なぜ0にしなかったのでしょうか?

音程の考えが出来た頃に、まだ0という数が「発見」されていなかったから、という考えがあります。たしかに音楽理論の歴史は非常に古く、0が一般的に使用される前からあることを考えるとそれほど間違いではないかもしれません。

ただ、それ以上に、現在使われている音程の考え方に便利な点があることを忘れてはいけません。

それは、音程は「距離」ではなく「個数」を表している、という点です。

実は音程は音と音との距離を表しているというのは正確ではありません。

3度といっても、長3度と短3度があるように、音程は正確な音の距離を表そうとはしていません。

ド・レ・ミと、3つの音が作る音と音の関係が3度の音程なのです。

3度を弾くときには3つの指が必要で、1拍で弾くときには3連符になります。リズムや指使いに一致している「個数」という考え方は便利なものです。

なお、音と音との距離を表す場合は半音数を使うのが普通です。オクターヴなら12半音です。これは距離なので、足し算をすることができます。

手書きで見間違いが起きやすい♭と♮

急いで楽譜を書いていると、♭と♮の見分けが良くつかなくなってしまいます。

ようやく書き終わって完成!と思って人に見せると、これ♭?♮?なんてことは良く起きますし、試験で見分けがつかなかったら減点されてしまいます。それにしてもなぜこんなに手書きで見間違いが起きるのでしょうか?

実は♭と♮は両方ともアルファベットの「b」が元になった記号です。B、つまりイタリア語音名の「シ」の音は、中世の音楽学者たちによって、揺れ動きやすい音であることが知られていました。少し高くなったり、少し低くなったり、曲によって違ったのです。

具体的にはラ-シ-ドと歌う時のシは高くなりがちで、ラ-シ-ラと歌う時のシは低くなりがちでした。

そこで、高くなるシは「四角いb」、低くなるシは「やわらかいb」という記号で使い分けようとなります。

角ばった形で書いた「b」は「♮」と記号化され、柔らかい「b」は「♭」と記号化されたのです。

なぜずらす必要がある?ト音記号とヘ音記号

ピアノを弾く人が初心者のときに必ず思う疑問ですね。なんでト音記号とヘ音記号があるの?両方ト音記号でいいじゃないか!

ごもっとも!両方ト音記号にしても、記譜上問題が起こることはまずありません。ト音記号を2オクターヴ下にずらせば、ヘ音記号と3度、つまり線1本分しか違いが無いわけですから、何の問題もなさそうです。

それなのに、わざわざ読むのが2倍大変になるト音記号とヘ音記号を使うのはいかにも不合理ですね。

実は楽譜の書き方は改良に改良を重ねて現代の形になっている・・・のではなく、700年間ほど、ほとんど変わっていません。

バッハ(1730年頃活躍)の手書きの楽譜は、現代の人にとってもそれほど違和感なく読むことができます。

楽譜は基本的に音の高さとリズムが分かればよく、それを5線の上に白丸や黒丸に棒を付けることによって表すという現代の楽譜の原型が1250年頃には発明されています。そこから様々な作曲家や音楽学者によって、改良案が試みられましたが、結局どれもほとんど失敗に終わっています。

結局本質的な改良がされるというよりかは、読みやすさを向上させるためのデザインの工夫が続いてきて現代の形になっているわけです。

そして、その根本的な改良案は、実際に理屈上優れていたとしても、慣れていない楽譜では演奏し辛いという理由で流行しなかったわけです。楽譜は一瞬で何十という記号を読みそれを手や口と連結させる必要がありますので、合理性よりも習慣のほうが勝ってしまいますね。

日本語が世界中の人に読みやすいようにこれから全てローマ字で表記しよう、といっても、日本人にとっては読みづらくまず受け入れられることはないでしょう。

それと同じようにト音記号とヘ音記号で慣れてしまった鍵盤奏者にとって、両方ともト音記号で書くというのは逆に読みづらくて採用されませんでした。

考えてみると、五線譜というアイディアは世界中で受け入れられています。各地の伝統音楽は専用の楽譜があることもありますが、五線譜も読めるというアーティストは増え続けています。その意味では、五線譜は古今東西どこでも通じる共通言語と考えることもできます。

変化記号(♯・♭・♮)のルール

もう、これに苦しめられた人がどれほどいることでしょうか。変化記号には音符に直接つく臨時記号、そして、始めに宣言される調号というふたつがありますが、そのルールの複雑さといったら・・・

こんなに複雑なルールはなぜできたのでしょうか・・・。楽譜に慣れていても間違うことはあるので、ましてや楽譜に慣れていない人にとっては恐怖でしかありません。また、コード記号に付く♯や♭の意味は厳密には臨時記号とちょっと違ったりしていて・・・もう意味不明です。

なお上の楽譜で、♯のときだけ赤く色をつけてみると、次のようになります。

このようにすると少し視認性が増すような気もしますが、逆に脳がシェイクされるような・・・。

変化記号を省略せずに全部書くと、楽譜が煩雑になり、逆に音楽の構造を捉えづらくなってしまいます。ただ、楽譜が不必要に読みづらくなることを回避するために、必要のない臨時記号をあえて書くことで、ミスを防止する、というのが一般的な解決方法です。これを通称「親切記号」と呼びます。

これで、なんとか許してください・・・。最近の音楽では小節線を書かないタイプの楽譜もあり、そのようなときは曲ごとに変化記号のルールが変わったりして、なお複雑になっています。

慣習を受け入れよう

歴史的な事情や、一定の利便性があるとはいえ、たしかに不便と言われても仕方ない5つの要素を上げてみました。

ただ、世界中で受け入れられているルールを変えるのはなかなか難しいものです。現行のルールを変える努力をするよりかは、慣習となっているものを受け入れていくほうが簡単でしょう。

それでも、この慣習は受け入れられないと思ったのなら、あなたがもっと分かりやすく、完全に筋が通っているルールを発明して、もしかしたら歴史を変えることができるかもしれません。

もう何千という権威のある天才たちが失敗してきている道ではありますけれどもね・・・