バッハと並ぶ後期バロック時代を代表する作曲家といえばヘンデルです。そして、ヘンデルの最高傑作といえばやはり「メサイア」でしょう。数々の伝説的なエピソードがあるメサイアをじっくり堪能し、その奥深い世界に触れていきましょう。
ヘンデルについて
ゲオルグ・フリードリヒ・ヘンデルは、1685年にドイツで生まれた作曲家で、バッハと同い年になります。1600年頃から1750年頃まで続いたバロック時代の最後に活躍した重要な作曲家です。幼い頃から鍵盤奏者としての実力を発揮し、17歳で地元のハレ大聖堂のオルガニストとして1年間契約を結ぶことになり、これが音楽家としてのキャリアの第一歩になります。さらに翌年には、当時の大オペラ作曲家であるラインハルト・カイザーの経営するオペラ劇場でヴァイオリニストとして採用されます。またそこでオペラを学んだヘンデルは19歳で初の作曲となるオペラ「アルミーラ」を完成させます。オルガニスト・ヴァイオリニスト・作曲家と、多くの音楽キャリアを同時にスタートしする形になりました。
1706年にイタリアに渡り、そこでもオルガニスト・作曲家として大活躍します。イタリア人でないヘンデルにとって、オペラの本場イタリアでオペラを書くということは非常に不利であったにも関わらず大成功を収めます。イタリアでも大活躍だったヘンデルですが、その後ドイツ北部のハノーファーに行き、選帝侯に気に入られ、宮廷楽団長となります。
しかしすぐに1年間の休暇をとり、1710年にロンドンを訪れると、ヘンデルはそこで2週間という速さでオペラ「リナルド」を書き上げます。するとこれが大成功を収め、これをきっかけとして、1712年よりロンドンに定住するようになります。
ハノーファーでの仕事を放り出した形となったのですが、なんとハノーファーでヘンデルを雇った選帝侯は1714年にイギリス国王ジョージ1世となりました。数奇な運命ではありますが、ヘンデルとジョージ1世は良好な関係を続けました。
その後は1719年に立ち上げられた王室音楽アカデミーの中心人物となり、イギリスオペラ界を牽引します。なお、オペラといえば当時は必ずイタリア語で書かれていますので、ヘンデルのオペラ作品もイタリア語です。
1727年にヘンデルはイギリス国籍を取得しますが、オペラではだんだんと成功が少なくなっていき、1739年からオラトリオの作曲を多く行うようになります。オラトリオとは、聖書を用いた物語を音楽にするもので、音楽的な手法はオペラと似ていますが、上演時に劇は付きません。また、ヘンデルのオラトリオは英語で書かれていることも特徴です。1742年にヘンデルの全作品中でも最も有名なオラトリオ「メサイア」をわずか24日で書き上げます。「メサイア」は1750年からは孤児院でのチャリティー演奏会としてヘンデル存命中は毎年演奏されるようになりました。
1759年に死去したヘンデルは、イギリスにとって最高の名誉であるウェストミンスター寺院への埋葬がなされました。南翼廊の「詩人のコーナー」と呼ばれる場所でヘンデルは眠っています。
メサイアのテキスト
メサイアのテキスト(歌詞)はほとんどが旧約聖書から取られています。テキストを構成したのはシェイクスピア研究家のチャールズ・ジェネンズです。彼は旧約聖書の「イザヤ書」「ハガイ書」「マラキ書」「ゼカリア書」「詩篇」「エレミアの哀歌」「ヨブ記」のテキストを引用し、人称を調整して(IをHeに変えるなど)新約聖書の内容と符合させていきます。また、新約聖書の中からも、「マタイによる福音」「ルカによる福音」「ヨハネによる福音」「ヘブライ人への手紙」「ローマ人への手紙」「コリント人への第一の手紙」「ヨハネの黙示録」を引用しています。これらを繋ぎ合わせて一つの物語を作るという手法は、ジェネンズによる「旧約聖書の正統としてのキリスト教」という思想が強く出たものと考えられます。
また、もう一つジェネンズの思想が現れているのが、「理神論」の否定です。当時論争となっていた「理神論」は、〈預言や奇跡といった人智を超えたものによって神が存在する〉のではなく、〈理性によって神の存在を証明できる〉とする立場です。旧約聖書は紀元前400年までには成立していたと思われる文書群で、それが紀元0年から40年ほどのイエス・キリストの誕生から死までを正確に予言していることを示し、神の言葉が超自然的であることを主張したのですね。
ジェネンズがメサイアのテキストを書き上げると、ヘンデルにこれを送りつけて作曲するように依頼します。ヘンデルはこれを受け取るやいなや、24日間という短期間でメサイアを完成させました。
ジェネンズの思想が、ヘンデルの思想と一致していたか、そもそもヘンデルがそれを汲み取っていたかは、ごく短期間での作曲ということもあって疑問が残るところではありますが、音楽の内容は見事にテキストに沿ったものとなっています。
メサイアの構成
前述の通り、メサイアのテキストは旧約聖書・新約聖書が入り乱れてはいますが、一本の物語を作っていて、3部構成となっています。曲の番号は出版社によって異なることに注意してください。第1部は預言、第2部は過去の話、第3部は未来の話、と大雑把にとらえることができます。
第1部
第1部は、神が人々を救い、メシア(救世主)が現れるという預言です。
序曲
第1曲 シンフォニア Sinfonia
第1曲はシンフォニアと呼ばれるオーケストラのための序曲です。堂々としたフランス風の序曲となっており、この大作の冒頭に相応しい音楽です。
第2曲~第7曲 救世主の預言
第2曲 レチタティーヴォ(テノール) Comfort ye My people
第3曲 アリア(テノール) Every Valley
第4曲 合唱 And the glory of the Lord
第5曲 レチタティーヴォ(バス) Thus saith the Lord
第6曲 アリア(アルト) But who may abide
第7曲 合唱 And He shall purify
ここの場面では、救世主がやってきてが人々を救済する、ということを歌います。第3曲「Every valley」はテノールのためのアリアで、重厚さを感じる堂々とした音楽です。
第8曲~第12曲 救いがもたらされる預言
第8曲 レチタティーヴォ(アルト) Behold, a virgin shall conceive
第9曲 合唱付きアリア(アルト) O thou that tellest good tidings
第10曲 レチタティーヴォ(バス) For behold, darkness
第11曲 アリア(バス) The people that walked in darkness
第12曲 合唱 For unto us a Child is born
ここの場面では、救世主が現れ、闇が覆っている地上に光をもたらす、ということが歌われます。第11曲の闇に覆われた世界を歌うおどろおどろしい音楽から、第12曲「For unto us a Child is born」で光がもたらされる対比はヘンデルの構成力の高さを伺うことができます。特に合唱の「Wonderful, Counsellor」(驚くべき、指導者)というのは強く印象に残りますね。
第13曲~第17曲 イエス・キリストの誕生
第13曲 シンフォニア Pifa(牧歌)
第14曲 レチタティーヴォ(ソプラノ) There were shepherds
第15曲 レチタティーヴォ(ソプラノ) And the angel said unto them
第16曲 レチタティーヴォ(ソプラノ) And suddenly there was with the angel
第17曲 合唱 Glory to God in the highest
この場面のテキストは全て新約聖書の「ルカによる福音書」から取られており、イエス・キリストの誕生を歌います。第13曲Pifaは「Pastoral Symphony」とも呼ばれ、牧歌的な交響曲という意味です。羊飼い達が天に軍団が現れたのを見て恐れますが、これはイエス・キリストの誕生を知らせるものでした。
第18曲~第21曲 救世主のもたらす恵み
第18曲 アリア(ソプラノ) Rejoice greatly
第19曲 レチタティーヴォ(アルトまたはソプラノ) Then shall the eyes of the blind
第20曲 二重唱アリア He shall feed His flock
第21曲 合唱 His yoke is easy
この場面では、救世主が実際にもたらした恵みについて歌われます。第18曲「Rejoice greatly」は喜びに満ち溢れたアリアとなっており、単独でも歌われることがあるほど人気の曲です。
第2部
第2部は主の受難と昇天を表します。出来事を語るのはほとんどが旧約聖書から取られており、これはテキストを構成したジェネンズの思想がよく出たアイディアとなっています。
この第2部の終わりは、有名な「ハレルヤ」コーラスです。この「ハレルヤ」の中に、第2部で初めて「Christ」(キリスト)という単語が登場します。第2部の重たい雰囲気が「ハレルヤ」によって輝かしくキリストの誕生を歌って終わるというのは感動的ですね。
第22曲~第24曲 主の受難
第22曲 合唱 Behold the Lamb of God
第23曲 アリア(アルト) He was despised
第24曲 合唱 Surely He hath borne our griefs
この場面では、旧約聖書の「イザヤ書」によるテキストではありますが、はっきりとイエスの受難について歌っています。第23曲のアリア「He was despised」は長調でありながら、あまりにも悲しい音楽で、ヘンデルがこの曲を書いているときに涙を流していたのを召使が見たという逸話も残っています。また中間部の厳しい付点のリズムは鞭打ちを象徴するリズムとなっており、第23曲以外にも多く見ることができます。
第25曲~第32曲 受難による救い
第25曲 合唱 And with His stripes we are healed
第26曲 合唱 All we like sheep
第27曲 レチタティーヴォ(テノール) All they that see Him
第28曲 合唱 He trusted in God
第29曲 レチタティーヴォ(テノール) Thy rebuke bath broken His heart
第30曲 アリア(テノール) Behold, and see
第31曲 レチタティーヴォ(ソプラノ) He was cut off
第32曲 アリア But thou didst not leave
この場面では、我々が背負っている罪を、主が鞭打たれ生命が絶たれたことで引き受けたことを歌います。第25曲「And with His stripes we are healed」は、バッハやモーツァルトなど他の作曲家にも見られる十字架のモチーフを使った格調の高いフーガ形式の合唱です。
第33曲~第36曲 主の昇天
第33曲 合唱 Lift up your heads
第34曲 レチタティーヴォ(テノール) Unto which of the angels
第35曲 合唱 Let all the angels of God
第36曲 アリア(バス) Thou ard gone up on high
この場面では、受難を受けた主が天高き所へ上っていき、栄光の王となることが語られます。いかにも新約聖書的な内容であるにもかかわらず、テキストのほとんどは詩篇から取られています。第32曲までが悲痛な音楽だったのに対し、第33曲「Lift up your heads」で輝かしい音楽になることで、主の受難によってもたらされた恵みが大きいことを象徴しています。
第37曲~第43曲 教えは地上に広まる
第37曲 合唱 The Lord gave the word
第38曲 アリア(ソプラノ) How beautiful are the feet
第39曲 合唱 Their sound is gone out
第40曲 アリア(バス) Why do the nations?
第41曲 合唱 Let us breal their bonds asunder
第42曲 レチタティーヴォ(テノール) He that dwelleth in Heaven
第43曲 アリア(テノール) Thou shalt break them
この場面では、主によって教えを伝えられた者たちが地上の至るところでその教えを広め、世界の争いを収め、平和をもたらすことを歌います。第38曲「How beautiful are the feet」はその伝道師の足取りの美しさを歌った曲で、ゆったりとした優美なアリアです。
第44曲 ハレルヤ
第44曲 合唱 Hallelujah!
メサイアの中でも最も有名な曲であり、ジョージ2世(元ハノーファ選帝侯だったジョージ1世の息子にあたり、ヘンデルが戴冠式の音楽を作っています)がこの楽曲の演奏中に立ち上がって敬礼した、という伝説が残っています。(真偽は不明のようです)現在でもハレルヤ演奏中に立ち上がる文化があるのはこれが由来となっています。
ハレルヤは「神を賛美せよ」という意味のヘブライ語です。「ハレル」が賛美せよ、「ヤ」が神の名ヤハウェーを表します。伝道師たちが伝えたキリスト教が世に広まり、主がこの世界を永遠に支配することを歌います。
堂々とした格調のある音楽は、当時から今にいたるまで高い評価を受け続けています。
第3部
ここまで、ほとんどのテキストが旧約聖書から取られてきましたが、第3部では全て新約聖書からの引用となっており、最後の審判とキリスト教の永遠性を歌います。
第45曲~第46曲 主の復活
第45曲 アリア(ソプラノ) I know that me Redeemer liveth
第46曲 合唱 Since by man came death
この場面ではキリストの復活が歌われます。第45曲「I know that me Redeemer liveth」は輝かしい音楽ではなく、静かな音楽となっています。アダムによってこの世に生が始まったように、キリストによってこの世の死が終わる、という内容となっており、復活ということよりかは死からの救済という視点のためにこのような音楽になっているのでしょう。
第47曲~第52曲 最後の審判
第47曲 レチタティーヴォ(バス) Behold, I tell you a mystery
第48曲 アリア(バス) The trumpet shall sound
第49曲 レチタティーヴォ(アルト) Then shall be brought to pass
第50曲 二重唱アリア(アルトとテノール) O death, where is thy sting
第51曲 合唱 But thanks be to God
第52曲 アリア(ソプラノ) If God be for us
前の場面で、死はキリストによって終わりました。そして、ラッパが鳴り響いたとき、我々は全員よみがえり、神によって、義有りとされるか、罪有りとされるかの審判が行われます。第52曲「If Got be for us」では、このときに取りなしてくれるのがキリストであると歌います。
第53曲~第54曲 永遠の賛美と誉れと栄光と力
第53曲 合唱 Worthy is the Lamb
第54曲 合唱 Amen
キリストの受難によって我々は救われ、神の世界へと入ることができます。第53曲「Worthy is the Lamb」ではそれを成し遂げたキリストに永遠の賛美と誉れと栄光と力があるようにと歌います。そして、最後にアーメンと歌います。アーメンはヘブライ語で「そうでありますように」という意味です。こうして、二時間半ほど掛かる大曲は終わります。
当時から今まで高い評価を受け続けるメサイア
メサイアはロンドンではなくダブリンで演奏されると、たちまち好評を得ます。ロンドンでの初演ではあまり評価を受けなかったそうですが、それでもジョージ2世の敬礼のエピソードが残るほどの影響力はあったことがわかります。ヘンデル存命中から今に至るまで、クラシック音楽の最高峰の音楽として、高い評価を得続けている名曲となっています。