年末の風物詩ともいえるベートーヴェンの「第九」(交響曲第九番)ですが、果たして一体どのような曲なのでしょうか。基本的な知識からマニアックな裏話まで、じっくり探っていきましょう。

交響曲とは

「交響曲第九番」の「交響曲」とは何なのでしょうか。「交響曲」は英語では「Symphony」といってたくさんの楽器が同時に一つの曲を奏でる、という意味です。なお、「Symphony」に「交響曲」という日本語を当てたのは、あの森鴎外です。「交響曲」に使われる楽器がどのくらいたくさんかというと、古くは10人程度のものもありましたが、現代では通常40人から100人程度で、大きいものでは150人近くになることもあります。作曲家はそれぞれのパートの音符を全て書かなくてはいけないわけですから、莫大な労力と時間をかけて「交響曲」を作曲します。

ベートーヴェンは生涯に9つの交響曲を完成させていますが、どれも数年をかけて取り組んだ大作となっています。交響曲というジャンル自体が、ベートーヴェンの人生にとってどれほど重要だったかがわかるでしょう。

ベートーヴェンの自筆譜

「第九」の破格の規模

そんなベートーヴェンの9つの交響曲の最後を飾るのが、「交響曲第九番」、通称「第九」です。1815年から本格的に作曲し、完成したのは1824年です。ベートーヴェンは1827年に亡くなっていますから、最晩年の作品となります。これまでに交響曲を書いた作曲家といえば、古典的な交響曲を完成させたハイドンや、それを継承してさらに発展させたモーツァルトが有名ですが、大体曲の長さは20分程度で、長くても30分でした。実際30分間休憩なしで演奏するのは集中力も体力も使うものですし、具体的な物語があるならともかく、音楽のみで30分を超えるような構成を作るのは作曲家にとっても大変です。しかし、ベートーヴェンの「第九」はなんと70分もあります。CDに収められる曲の長さは74分なのですが「第九」に合わせたという伝説もあります。事実、「第九」より長い曲はほとんどありませんから、これが収められればほとんどの曲が1枚のCDに収まるという点でも合理的ですね。

そして、第九は長いだけではなく、人数の規模も桁違いです。オーケストラは50~70人程度で、それでも当時としては大規模ですが、それに加えて合唱も参加します。「交響曲」のなかに合唱が参加するというのはベートーヴェンが初めて行った試みで、結果的に100人以上が参加する巨大な編成となりました。

演奏には100人以上必要です

ベートーヴェンにとっての「第九」

ベートーヴェンが「第九」に用いた、作家シラーの「歓喜に寄せて」は、1785年に書かれた詩です。フランスでは市民が力を持ち始め、1789年にフランス革命が起き王室が打倒されることになりますが、この貴族中心社会から、市民中心の社会へと移行していく過程で、人々の自由を讃えたのが「歓喜に寄せて」です。

シラーの肖像

この詩は当時もとても有名で、ドイツ人ならほとんどの人が知っている詩になったようです。1792年にベートーヴェン(当時22歳)もこの詩に出会い、この詩に旋律を付けることを計画します。

ベートーヴェンは結局この計画を温めることになりますが、1それからは苦難の連続でした。798年頃(28歳)には聴覚をほとんど失い、ピアニストの道は閉ざされてしまいます。音楽家として軌道に乗り始めていたベートーヴェンにとってこれは非常に辛いことで、何度も自殺を考えるほどになりましたが、作曲家として活動を続けることを選び、ベートーヴェンの30代は「英雄」や「運命」といった傑作を次々と生み出します。ここでは、「苦悩を突き抜け歓喜に至る」という音楽の様式を作り上げ、後の作曲家の規範ともなりました。

1810年頃になるとますます聴覚は悪化するようになりますが、ピアノに木の棒を取りつけ、それを歯で噛み締めることで骨伝導で音を聞く、という方法を編み出していたようです。そしてこの頃から、15~17世紀の音楽、いわゆるルネッサンス音楽の研究に取り組みます。この技法はベートーヴェンの後期の作品に取り入れられ、重厚で格調高い音楽を次々と生み出しました。

聴覚障害の他にも様々な難病に苦しめられたベートーヴェンは、宗教的な精神性も追究するようになります。

器楽曲にも祈りの音楽が取り入れられたほか、「ミサ・ソレムニス」という極めて規模の大きい宗教曲も書かれました。

ベートーヴェンが22歳のときから計画していた音楽が、これらの人生で培ってきた技法や精神性で開花したのが「第九」というわけです。

初演はベートーヴェンが指揮台に乗りましたが、音の聞こえないベートーヴェンの代わりに、指揮者ウムラウフがベートーヴェンの脇で指揮をしました。

曲が終わったときには大歓声が起こりましたが、ベートーヴェンはそれが聞こえず、失敗に終わったと思いうつむいていたそうです。その後、演奏者に促されて客席を見ると、尋常ではない拍手にいつまでも包まれていたと記録されています。

最も有名なベートーヴェンの肖像画

堂々とした1楽章、疾風怒濤の2楽章、美しい3楽章

「第九」は他の多くの交響曲と同じように、4つの楽章から成り立っています。楽章とは、それ1つでも曲として成立する部分のことで、楽章と楽章の間では、大体の場合音楽は完全にストップします。長ければ1分ほど音楽が止まることもありますが、曲の終了ではないので、拍手はしないのが通例となっています。

そして、第九の有名な旋律が出てくるのは第4楽章となっていますが、その前に3つの楽章があります。これが本当に素晴らしい音楽なので、ぜひこちらにも注目してほしいと思います。

第1楽章

弦楽器の音の森のなかから断片的に旋律のようなものが聞こえてくると思ったら、それが集まって爆発的に主題が奏でられます。堂々とした音楽や美しい音楽など、様々な要素が登場し、第九という大曲の第1楽章に相応しい壮大な音楽に仕上がっています。

第2楽章

第1楽章と同じく序奏が極めて特徴的です。この曲の主役はなんといってもティンパニ(音程のある太鼓)です。張り詰められたような高い音と、重々しく低い音の2つのティンパニが疾風怒濤のような速さの曲の中で暴れまわります。「ティンパニ協奏曲」の異名を持つほどティンパニが大活躍する曲で、聞いていて爽快です。

第3楽章

前2つの楽章とはうってかわって静かで神聖な曲となっています。2つのテーマが様々な姿を見せます。ときおりファンファーレが鳴り響き、神への敬意を表しているかのようです。

第4楽章「歓喜の歌」

第3楽章が静かに曲を閉じたのち、それを破壊するかのようにオーケストラが不協和な音を奏でます。ここは非常にユニークな部分で、ベートーヴェンの人生の集大成にも相応しいような名曲である第1楽章から第3楽章までを次々に否定していきます。そして奏でるのは有名な「歓喜の歌」です。これは当時非常に有名だったシラーの「歓喜に寄せて」という詩からの抜粋となっています。

そしてこの楽章から、合唱と4人のソリストが入ってきます。

「O Freude, schöner Götterfunken」(歓喜よ、神々の美しき霊感よ)から始まり、壮大な世界観で、生きとし生けるものの繋がり、そして神の世界との繋がりに歓喜を見出します。全く飾り気のないシンプルなリズムと旋律で、誰でも口ずさむことができます。「Seid umschlungen, Millionen!」(抱き合おう、100万の人々よ!)という詩にこれ以上ないほど相応しい旋律ですね。

この歓喜の歌が次々に変奏されたのち、宗教的で神秘的な部分を経たのち、合唱もオーケストラも最高潮に達してその最高潮のまま曲を閉じます。

古今東西愛され続ける名曲

この曲の構成力、旋律の美しさ、アイディアの新しさ、オーケストラの響きなど、どれをとっても音楽史上の最高傑作であり、「人類最高の芸術作品」と呼ばれるまでになりました。

第二次世界大戦後の復興の象徴として、ドイツの統一を祝して、など、抑圧から解放された自由を祝して演奏されることがあります。また、日本では、皇紀2600年を祝して1940年12月31日の深夜に演奏されたのをきっかけに、各地のオーケストラが年末に演奏することが次第に定着し、現在では「第九」といえば年末の曲とされるようになりました。