これまで様々なピアノ記事を寄稿してきましたが、ここでちょっと趣向を変えて、Official髭男dismの「Cry Baby」をクラシック音楽家の視点から見ていきましょう。「どういうこと?」と思われるかもしれませんね。筆者がこの曲を初めて聞いたとき、その迫力に圧倒されながらも、どこか馴染みがあるな、という印象を受けました。よく話題になるこの転調の多さはポップスだと滅多にみることはありませんが、クラシックならそれほど不思議なことではありません。そのような背景もあるのかもしれません。

冒頭のマーチ

歪みの強い、まるでラジオから流れているようなマーチから始まります。そして想起されたのは「独裁国家の行進曲」という印象でした。兵士の士気を鼓舞するというよりかは、敵を威圧するということに目的を置いたような印象です。

そして、唐突なエフェクトに否定されてAメロが始まります。「否定する」というのはベートーヴェンが「交響曲第九番」の4楽章の冒頭でしている技法で、これまでの音楽を否定し「おお友よ!このような音ではない!」と歌います。衝撃的であると同時に、これから何が起こるのかという緊張感や期待が高まります。

Cry BabyのイントロからAメロに入るところではト短調からヘ短調への進行で、♭が2つ増える、つまり-2の転調をするだけなのですが、実はクラシック音楽において-2の転調は非常に珍しいのです。それでも長調ならまだ見かけることもあり、ベートーヴェンのピアノソナタ21番「ワルトシュタイン」では、冒頭でそれが起きますが、当時も衝撃的だったはずです。当時の「Cry Baby」だったかもしれません。実際「Cry Baby」のほとんどの転調は「ワルトシュタイン」に使われている転調で説明ができます。

転調はクラシック音楽では必須の技術で、調号の数に注目してみると次のようになっています。

±0→平行調

±1→属調・下属調

±3→同主調・3度転調

±4→3度転調

±5→ナポリ調・半音転調

±6→共通の三全音を利用した転調

ということで、±2以外の転調はロマン派(1830年以降)の音楽ではよく見られるのですが、±2は本当に珍しいのです。という背景がありながらこれを選んだということに親近感を覚えます。やはり、意表をつくには最も珍しい転調でなければ!

パンチを食らわされたAメロ

こうしてヘ短調のⅠ、すなわちFmで始まったAメロですが、2小節目にいきなりB♭7/Dって・・・。初めてこれを聞いたときに、次にE♭7に行き、そのあとC7からFmに戻るのだろうな、という予想を勝手に始めてしまうのですが(これは完全に筆者の職業病と思われます)完全に裏切られてD♭M7に行きました。いや、FmとD♭M7を繋ぐコードはFm/E♭でしょうよ!?

それにしてもこの部分のベースはあざけ笑うかのようで、本当にクセになりますね。

強烈なパンチをくらってよろけたのは筆者の耳のほうでした。

さて、5小節目はしっかりまたFmに戻り、同じ進行を繰り返します。たしかに「予報通り」ですね。

なお、ここからBメロはヘ長調となり、-3の進行になります。これは同主調なので、それほど違和感のある転調ではありません。

それにしても、殴られてよろけたところに雨が降ってきてきて、踏んだり蹴ったり。それに「傷口がきれいになる!」って言われるのは良いですね。こんな皮肉を聞かせられる体験を一度くらいしてみたいものです。一度で大丈夫です。

イントロの引用…?のBメロ

さて、このBメロはイントロと同じ音形なのですが、だからどうした?というくらい全く異なる音楽になっています。イントロは軍歌調でしたが、Bメロのほうはどちらかというと感傷的です。

コードは

Dm7 C/E F Am7 Gm7 A7 DM7

となります。

Gm7 A7 DM7

の部分はニ短調のピカルディというもので、ニ短調はヘ長調の平行調であるため、これもそれほど不思議ではありません。というか、ここまでの転調によって耳が慣らされてしまいました。「あまりのつまらなさ」というほどつまらない転調では全くないのですが・・・。

一旦変ロ短調で落ち着くサビ

さて、ここまで「何度もあおアザだらけ」になるほどの聴覚体験をしてきましたが、ここで二長調のサビにはいります。ニ短調のピカルディ和音として入ってきた調なので、ここはそれほど驚きはありません。音楽的にも落ち着いたかな、と思う暇もなくとんでもない転調をします。次の転調は+5の転調です。

+5は半音下に下がる転調と思えばそれほど遠くはないのですが、何が起きているか分かりづらいですね。ベースと旋律が逆方向の動き(反行)をしてうまく半音階で繋いでいく手法はクラシックにも見られるもので、細かい動きの緻密さに目を見張ります。

サビの転調のモデル なめらかに繋がれています

その後変ロ短調で16小節落ち着きます。16小節も転調しないというのは珍しいですね。

この16小節はまさにJ-Popの王道を行くような音楽で、堂々としています。最後のB♭というコードはさきほども登場したピカルディというものです。この音をヘ短調のドリアのⅣと捉えて2番が始まります。

AメロとBメロの間に入る間奏

「胸ぐらをつかみ返して反撃のパンチをくりだす」のかと思いきや繰り出さず、意表をつく歌詞が続きます。途中にヨーデル風のパッセージが入るのも印象的です。

そして、AメロとBメロの間に間奏が入ってくるのに驚かされます。この間奏は実は1番と2番の間に入れても自然に接続できそうなものですが、そうしなかったところにどこまでも反骨の精神を感じます。

この間奏の「どうして」は印象的ですが、間奏の後半はイントロと同じ旋律を使って、ミュージカル風の演出となります。この部分にオペラ座の怪人を想起させられるのは筆者だけでしょうか。

バラード風のBメロ

間奏がヘ短調だったところから、同主調のヘ長調(あるいはその平行調のニ短調)のメロに移っていきます。メロディー自体は間奏と同じですが、音楽がバラード風になりまったく違う雰囲気を醸し出します。そしてヨーデル風のパッセージを経過して、かなりクラシック音楽的な進行でBメロを締めくくります。この旋律部分はイタリア古典歌曲の「Se tu m’ami」を思い起こします。

1番と共通のサビから衝撃のラストへ

2番のサビは1番とほとんど共通していていますが、ラストに衝撃の転調が待っています。

ラスサビのモデル 変化記号はD♮のみ

これはクラシック音楽の知識を使うと、A♭7→Aに関しては変ニ長調から嬰ハ短調への同主調への転調で、準固有Ⅵへの偽終止として見ることができ、それなりに見かけるものではあります。筆者の耳には変二短調(♭8つの架空の調)にも聞こえます。なお、上の楽譜を変二短調で書き直すと、次のようになります。かなり異質な見た目になりますが、カラオケで歌うとしたら頭のなかではこのように考えていそうです。

ダブルフラットを使って生々しく書き直してみた

最後にまた変ロ短調に戻るところでは、Dmaj7からのG♭maj7となり、この転調はかなり独自性が強いものです。特にこのD♮という音は嬰ハ短調にも変二長調にも無い音で、フリギア旋法的な爽やかさを感じます。このメジャーセブンスの輝きは「光った瞳」というに相応しく、この転調の連続の曲のしめくくりに相応しいものです。

なお、この転調部分はベースの動きがかなり激しく、耳コピが非常に難しくなっています。コード譜や楽譜を載せている様々なサイトを見ても各々異なった捉え方をしていることがわかります。(Dmaj7と捉えるのは少数派のようで、Bm7と捉えていることが多いようです)

そして、最後はこれまでにも何度も登場したピカルディ終止で終わりますが、やはりカッコいいですね。

歌詞・スタイル・調全てが複雑に絡みあった名作

ここまでクラシックの音楽観で見てきましたが、これほど様々な音楽のスタイルを使い、転調もこれだけこなしていながら、統一感がありぶれない世界観を作るというものは並大抵の力ではできません。また、その音楽的な変化の瞬間に対してピッタリの単語が選ばれており、その隙の無さは歴史に残る価値のある名作だと感じました。クラシックの音楽観でJ-Popを見るのはナンセンスと見る向きもあるかもしれませんが、皆さんに新たな視点を提供できたのなら幸いです。