作曲者にとって、調の設定は大事な問題です。調がある曲を書くのなら、曲を書き始める前に設定しなければいけません。とはいえ、オクターヴ中に12個の音があるように、長調・短調それぞれ12個の調があり、合計24個の調から闇雲に選ぶには選択肢が多すぎます。そこで、どのように調を選んでいるのか、楽器の構造や、調の伝統的に持つ意味、さらには筆者の主観も交えながら見ていきましょう。

楽器の構造による調の設定

ピアノは7オクターヴ以上という広い音域を持ち、全ての弦の音が均等になるように出来ていますが、ヴァイオリンはG,D,A,Eと調弦されていたり、ギターはE, A, D, G, B, Eと調弦されていたりと、全ての音が均等ではありません。指で弦を押さえない状態のことを開放弦と言いますが、開放弦を演奏すると楽器全体が共鳴し、大きく固めの音がなり、ビブラートを掛けることができません。逆に指で弦を押さえて演奏すると、指の柔らかさが弦の振動を抑制し、柔らかい音になります。

また、管楽器も音によって音色は大きく違い、木管楽器はD-Eあたりの低い音は管長が長く、くぐもった優しい音色になり、A-Bあたりの高い音は管長が短く鋭い音になります。

弦楽器

弦楽器の調弦は以下の通りです

ヴァイオリン:G-D-A-E

ヴィオラ・チェロ:C-G-D-A

コントラバス:E-A-D-G

これらの音が良く鳴る調は、二長調(D-Major)やト長調(G-Major)です。この調は音階の中の音がよく開放弦と共鳴し、明るく堂々とした、あるいは迫力のある音楽となります。ハ長調(C-Major)も鳴る方ではありますが、ヴァイオリンとコントラバスは開放弦にCを持たないため、少し優しい音になります。

また、弦楽器はこれらの開放弦と共鳴し辛いE♭(D♯)やB♭(A♯)といった音は優しい音になるため、ヘ長調・変ロ長調といった調は落ち着いた音楽によく使われます。また、♯や♭といった音が複雑に登場することになる短調の音楽も弦楽器では響かせるのが難しいため、激しい短調の音楽は開放弦が多いト短調(g-minor)や二短調(d-minor)が必然的に多くなります。

ヴェルディ:レクイエムより『怒りの日』ト短調(g-minor)

ヴェルディはイタリアオペラの作曲家で、このレクイエムも劇的な音楽となっています。特に有名な『怒りの日』は弦楽器も人の声も響かせやすいト短調(g-minor)で作られています。

木管楽器

木管楽器は、フルート・クラリネット・オーボエ・ファゴット・サックスなどの楽器です。音程を変えるときは、管に空いた穴をふさぐキーを押し、基本的にD-E-F-G-A-Bと管長が短くなっていきます。さらに、三オクターヴ目の音域から、鋭く強い音になり、弱音で演奏することが困難になります。このことから、ト長調(G-Major)・イ長調(A-Major)は極めて明るく、狂乱的な音楽を作ることができる一方で、ハ長調(C-Major)や二長調(D-Major)は落ち着いた雰囲気の音楽になります。

特殊なのはクラリネットで、B♭管あるいはA管と呼ばれる楽器を使うのが普通です。そのため、例えばB♭管を使った場合は、ヘ長調(F-Major)・ト長調(G-Major)が明るい音楽となり、変ロ長調(B♭Major)・ハ長調(C-Major)が落ち着いた音楽となります。

金管楽器

金管楽器は、トランペット・ホルン・トロンボーン・チューバ・ユーフォニアムなどの楽器です。木管楽器との大きな違いは、音程を変える構造として、①管の長さを変える、②倍音を変化させるという機構を採用していることです。このため、素早い動きは木管楽器ほどはできませんが、音量や安定感が強く、調の設定には大きくかかわってきます。

特に古い音楽では、ホルンはナチュラルホルンという楽器を用いており、管の長さを変えず、ただ一本の管で、息と口で倍音をコントロールすることと、ベル部分に手を入れて微調整する、という二通りの方法でしか音程を変えることができませんでした。このため、どの調を演奏するかによって楽器を使い分ける必要が生まれました。

そして、ナチュラルホルンは長調との相性がよく、短調とはあまり相性がよくなかったため、古典派の管弦楽曲ではほとんどの曲が長調となっています。たとえば、ハイドンの交響曲は103曲中短調は3曲だけです。

ホルスト:吹奏楽組曲第2番ヘ長調(F-Major)

金管楽器は♭系の調が演奏しやすいという傾向があるため、吹奏楽ではよく♭系の調が使われます。

ピアノ

ピアノの音には調の影響を受けませんが、弾きやすさに関しては調の影響を受けます。ハ長調(C-Major)は白鍵が多くなり、音が少ないときは弾きやすいですが、音が多くなってくるとむしろ親指が白鍵、それ以外の音は黒鍵で弾く方が合理的になるため、ある程度黒鍵が多いホ長調(E-Major)や嬰ハ短調(c♯-minor)といった調のほうが弾きやすくなります。

『幻想即興曲』ショパンは焼き捨てるつもりだった名曲

ハープ

ハープは他の楽器にはない特殊な構造をしています。オクターヴあたり7本の弦が張られていて、それぞれの弦の長さをペダルで変えることができ、♭ー♮ー♯の3通りを演奏することができます。このような構造により、ハープはペダルで調を決めてしまうと、その調にない音を演奏することが困難です。

そんなハープの特性を利用して、ある一部の調でのみ演奏できる和音が存在します。

ドビュッシー:牧神の午後への前奏曲ホ長調(E-Major)

フルートにとってもっとも繊細な音である嬰ハ音(C♯)で始まり、ハープには特定の調でしか不可能な和音を奏でさせます。ホ長調という調性感は極めて希薄ですが、楽器の特徴を良く捉えた調となっています。

嬰イ音と変ロ音、嬰ハ音と変二音など、異名同音を駆使した和音

ティンパニ

ティンパニはホルンと並んでオーケストラには欠かせない楽器です。古典的なオーケストラでは、2台の大小のティンパニをFからFまでの1オクターヴの音域の中で調律し、それを超えることはあまりありませんでした。ティンパニの音は半音違うだけでも緊張感や音色が全く異なるものになりますので、調に固有の音色を作り出します。

ベートーヴェン:交響曲第九番第二楽章ニ短調(d-minor)

ティンパニの調律のなかで、唯一Fの音だけがオクターヴ違いで鳴らすことができ、非常に高く緊張感があるFと、どっしりとした威厳と迫力のあるFを何度も聞かせるベートーヴェンの交響曲第九番の2楽章はニ短調であることの必然性を感じさせます。

調の伝統的なイメージ

楽器の構造以外では、伝統的にこのような音楽はこのような調、と決まっていることがあります。

それをいくつか見ていきましょう。

ハ長調(C-Major)

無垢・純真・平易といったイメージがあります。ピアノを習い始めるときハ長調から始めることが多く、バッハの「平均律クラーヴィア曲集」や「インベンションとシンフォニア」、ショパンの「エチュード集」や「前奏曲集」、ドビュッシーの「子供の領分」や「エチュード集」など、多くの練習的性格を持つ曲集の第一曲目はハ長調になっています。

二短調(d-minor)

中世では第一旋法と呼ばれた正格ドリア旋法を引き継いでおり、最も格調が高い調とされていました。そこで、レクイエムやミサ曲といった大きな宗教曲や、人生を掛けた大作に用いられることが多い調です。

変ホ長調(E♭-Major)

馬上で演奏するときに用いられた調で、ティンパニやホルンといった楽器がこの調に合わせると小さくまとまるため、軍楽に使われていました。そのため、変ホ長調には、軍隊的・英雄的というイメージと結び付けられるようになりました。なお、軍楽に由来を持つ吹奏楽も、変ホ長調が多いです。

ヘ長調(F-major)

中世では第五旋法と呼ばれた正格リディア旋法あるいは第六旋法と呼ばれた変格リディア旋法を由来にもち、牧歌的で優しい性格を持つ調というイメージがあります。

ト長調(G-Major)

オーケストラがとても明るく鳴る調で、栄光のイメージがあります。特に宗教曲のGloria(天高き所に栄光)ではよく使われる調です。

ロ短調(b-minor)

Bという音は非常に繊細な歴史を持つ音で、揺れ動きやすく安定しないというイメージがありました。「♭」と「♮」という記号が「柔らかいb」と「固いb」に由来を持つのは、Bに二種類の音があったからです。このようなBを主音とするロ短調というのは本来非常に珍しいものでした。しかし、バッハが「ロ短調ミサ曲」を書いたことにより、この調には荘厳なイメージが持たれるようになります。

各曲の調

それでは今度は、なぜこの曲はこの調になったのだろうか、という視点で見ていきましょう。ただ演奏しやすいから選んだという以上の意味を持つこともありますので、それがわかると曲の理解がより一層すすむでしょう。

バッハ:マタイ受難曲第1曲ホ短調

バッハの調を語るときは伝統や記号、宗教的意味など様々なことを考える必要があります。マタイ受難曲は2時間を超える宗教曲の大作で、イエスの受難を描いたものです。第一曲は神を表す3と人を表す4の積である12拍子となっています。これはホ短調(e-minor)ですが、このEはドイツ語で地を表す「Erde」の頭文字となっており、また、ゴルゴタの丘に十字架が掲げられたことを模した、C♯(♯が十字架を模した記号になっている)が突然現れるなど、楽譜を絵のように使っています。

高い音に十字架を模した♯が現れます

ベートーヴェン:交響曲第5番「運命」ハ短調

この曲はもうハ短調(c-minor)でなければならない!という意見が多いでしょう。この曲を移調して演奏しようものならどんなバッシングに合うかわかりません。それほどまでに、ハ短調には「悲劇」「悲愴」「重厚」というイメージがついています。ベートーヴェンのピアノソナタ第8番「悲愴」も同様にハ短調ですが、やはりこのイメージが強いでしょう。

ベートーヴェン:弦楽四重奏14番嬰ハ短調

嬰ハ短調は弦楽四重奏においては、開放弦とはほぼ共鳴しないため、あまり鳴らない暗い響きの調です。しかし十分にビブラートを掛けることができる美しい調でもあります。その暗い調の中で、ベートーヴェンはこの曲の1楽章と7楽章(最終楽章)にナポリの和音(F♯・A・D)、またはこれにB♯を追加した減3の和音(B♯=C・F♯・A・D)というものを配置しており、この和音は開放弦が最も共鳴します。この異質でありながらも神秘的な響きはこの調でしか為しえないものでしょう。

チェロの嬰ロ音は開放弦です

ショパン:幻想ポロネーズ変イ長調

ショパンは♯系の調よりも♭系の調が多い作曲家ですが、その中でも特に好んだのが、♭4つを持つ変イ長調(A♭-Major)でした。♭は伝統的に内向的で控え目なイメージがあり、それがショパンの性格にも合っていたのかもしれません。幻想ポロネーズでは、はじめ変イ短調を思わせる和音が鳴ったあと、すぐにC♭・E♭・G♭の和音に変わり、聞いているだけでは調は全くわかりません。そこから長い前奏のあと突如としてE♭の音が鳴ったのを皮切りに、変イ長調で落ち着きます。この安心感の演出は変イ長調ならではのものといえるでしょう。

ドビュッシー:練習曲第10番「対比された響きのための」ホ長調

この曲の主題はG♯=A♭の音となっています。この音が何度も繰り返されるのですが、聞いていると、同じ音なのにも関わらず、G♯に聞こえたりA♭に聞こえたりという不思議な体験をすることになります。ピアノ上では、この音は鍵盤の対称軸になっており(対称軸はA♭とDの二つです)、ホ長調のE・G♯・Bという鍵盤の形を鏡に映してみると、ヘ短調のC・A♭・Fと見えます。この曲の中では、まずこの二つの調が対比されます。他にも様々な仕掛けがこらされている曲ですが、ピアノならではの調の選び方と言えます。

調選びには様々な意味がある

これまでに、調の特性や調の選び方を見てきましたがいかがだったでしょうか。調は西洋音楽最大の発明で、歴史上多くの人が様々な考察をしてきました。非常に面白い世界が広がっていますので、まずは自分なりの調のイメージを探すところから始めてみましょう。